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大阪地方裁判所 昭和25年(ワ)912号 判決

原告 ジヨン・ウエルシユリー

被告 黍野兼雄 外一名

一、主  文

被告等は原告に対し各自金五百万円及びこれに対する昭和二十五年四月二十二日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等各自の負担とする。

この判決は原告において金百五十万円の担保を供するときは仮りにこれを執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

被告黍野兼雄及び被告銀行鶴橋支店支店長代理松田勲は昭和二十四年十二月十二日原告宛に金額五百万円、支払期日昭和二十五年二月十五日、支払地振出地共に大阪市、支払場所株式会社帝国銀行鶴橋支店の約束手形一通を連名で振出し、原告は現在その所持人である。右松田勲は被告銀行鶴橋支店の支店長代理の資格で右手形を振出したものであるから被告銀行は被告黍野と共に右手形の共同振出人として右手形金を原告に支払う義務がある。仮りに右松田勲に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限がなかつたとしても、同人は被告銀行の支店長代理として他の銀行事務について被告銀行を代理する権限がある者であつてたまたまその代理権限の範囲を超越して本件の手形を振出したものであるところ、原告は同人に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じて右手形を割引取得したものである。そして同人が本件手形にその肩書を表示してこれを振出した事実に徴して原告が同人にこのような権限があると信じたのは当然であつて、かように信ずるに付いて正当な理由を持つていた場合にあたる。従つて被告銀行はその代理人松田がその権限を超えて振出した本件手形に付いてその振出人として手形金支払の義務がある。然るに被告黍野及び被告銀行は右手形の支払期日を経過しても、右手形金五百万円を原告に支払わないので、原告は被告等に対して右手形金及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年六分の割合による損害金の支払を求めるため本訴に及んだと述べ、

被告等の抗弁事実を全部否認し、訴外山本豊二郎は本件手形の割引授受を斡旋したものに過ぎないのであつて、右割引授受についての原告の代理人ではない。また本件手形は原告が被告黍野に貸与した金五百万円の担保として同被告から原告に交付せられたものであつて、訴外山本が右金員を原告から借受け、これを被告黍野に貸与した二重の貸借関係はない。被告銀行は原告は訴外山本から手形金の支払を受けたからその手形金債権は消滅したと主張するけれども、右被告銀行主張の訴外山本の弁済事実の真相は、被告銀行及び被告黍野が本件の手形金を支払期日に支払わないので、原告に対して右手形の割引の斡旋をした訴外山本はその立場上処置に窮して、訴外野村貿易株式会社社員某に事情を打明けて懇願し右訴外会社振出の額面三百万円の約束手形を一時借受けこれを原告に金二百七十万円で割引させて右割引金のうち金二百万円を被告黍野から本件手形の内入支払あつた旨詐つて原告に交付し、原告の被告等に対する本件手形金取立の延期を策したものである。右のように右訴外会社振出の手形の割引及び右割引金をもつてする本件手形の支払に伴う資金の移動においては、原告所有の現金が原告の許に収つただけであつて、原告はこれによつて経済上の利益を得ていないばかりでなく、右手形は振出人に債務を負担させることのできない性質のものであつたからその後その支払の請求をすることなく振出人に返還せられている。従つて訴外山本が右訴外人振出の手形を利用して採つた手続は、本件手形の有効な支払に該当しない。仮にそうでないとしても原告は訴外山本と合意の上右訴外会社振出の割引及び右割引金をもつてする本件手形金の支払を無効としその効果を消滅させたものである。また訴外松田が偽造した被告銀行振出名義の小切手額面三百万円の原告に対する差入れは、云うまでもなく本件手形金の有効な支払に該当しない。右のような次第で、本件手形はその振出人である被告等によつても、また第三者によつても、未だその支払がないものであると述べた。<立証省略>

被告黍野訴訟代理人及び被告銀行訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、

被告黍野訴訟代理人は答弁として、

原告主張の事実のうち被告黍野が原告主張の約束手形一通を振出したこと、現在原告がその所持人であることは認めるが、訴外松田勲又は被告銀行が右手形の共同振出人であることは否認する。右手形における訴外松田の記名捺印は、同訴外人が訴外山本豊二郎と被告黍野間に金五百万円の貸借の成立したことを証明する趣旨のものに過ぎないと述べ、抗弁として、

本件の手形は昭和二十四年十二月十二日被告黍野が訴外山本から金五百万円を利息月五分弁済期借受けた日から二ケ月利息二ケ月分先払、但し利息を支払えば元金弁済期は延期できる旨の約定で借受けた際に、右金融の成立した事実を証明する為めに被告黍野から訴外山本に交付し、更に訴外山本からその貸主である原告に交付したのであつて、被告黍野と訴外山本間には本件手形に基いて手形上の請求はしない旨の特約が成立していた。そして原告は訴外山本から右事情を聞知し右手形上の請求ができない手形であることを十分承知して右手形を受取つたものであつて、右の関係を知つていたからこそ原告はその支払期日に本件手形をその支払場所に呈示しなかつたのである。従つて原告は右特約に違反して被告黍野に対して本件手形金の請求をすることはできないと述べた。<立証省略>

被告銀行代理人は答弁として、

原告主張事実のうち被告黍野が原告主張の日に約束手形用紙に原告主張の金額、支払地、支払場所及び振出地を記載しこれに署名捺印したこと、当時被告銀行鶴橋支店の支店長代理であつた訴外松田勲が「大阪市生野区猪飼野西四丁目十三番地」「株式会社帝国銀行鶴橋支店」「支店長代理」並びに「松田勲」と表示のある四個のゴム印を右約束手形用紙の被告黍野の署名の次に押捺して松田勲の表示下に認印したこと及び原告が現在原告主張のような記載のある約束手形用紙を所持していることは認めるが原告その余の主張事実は全部これを否認する。

(一)  右手形用紙の支払期日、振出日及び名宛は訴外松田がこれに記名捺印した当時白地であつたのであつて、後日訴外山本豊二郎が記入補充したものである。

(二)  原告所持の右約束手形用紙を用いた書類は約束手形ではない。被告黍野は昭和二十四年十二月十二日訴外西浦静男の紹介によつて、当時原告の嘱託であつた訴外山本豊二郎から金五百万円を利息一ケ月五分、元金の弁済期昭和二十五年二月十二日利息二ケ月分前払の約束で借受けるに際して、右金融の借用証書として被告黍野から訴外山本に前記の約束手形用紙を用いた書類を差入れた。然るに右書類の作成交付の際に、被告黍野及び訴外松田は右書類によつて手形債務を負担する意思がなかつたばかりでなく、その際に、右両名と訴外山本間に右債務の弁済期日を前記約束手形用紙を用いた書類に表示された支払期日より三日前とする旨の取極めがあり、且つ被告黍野及び訴外松田から右訴外山本に対して同人等が右書類によつて手形債務を負担するものでないことを告げ、訴外山本からその点について承諾を受けた。従つて右書類は約束手形の形式を具えているけれども、その作成授受の当事者間においては単なる貸金証書であることの諒解が成立していたのであつて、約束手形としては当事者双方が互に通謀して作成した虚偽のものであるから無効である。原告は訴外山本と特別に親密な関係があり右書類取得当時同訴外人を通じて右事情を知つていたのみならず、仮りに原告がこの点について善意であつたとしても、訴外山本は後記のように右書類の授受については原告の代理人であつたから、原告は法律上右通謀の当事者に当り善意の第三者ではない。よつて右書類は原告と被告黍野及び訴外松田の間においても約束手形としての効力を持たない。

(三)  仮りに右書類が約束手形であるとしても訴外松田はその共同振出又は支払保証をしたのではない。

本件の手形は前記のように被告黍野が訴外山本から金融を受けた際に被告黍野から訴外山本に交付されたものであるが、右手形作成に際し、訴外松田は被告黍野から、同被告が支払能力のあることを金融の相手方に示しその信用を得る為めに銀行支店長代理の肩書のある松田個人が同被告に支払能力あることを証明する意味で記名捺印あり度い旨の懇請を受け、右の趣旨で前記のように右手形に記名捺印したものである。従つて右訴外松田の記名捺印は被告黍野の支払能力の証明に過ぎず、手形の共同振出又は支払保証ではない。しかして被告黍野及び訴外松田は同被告が訴外山本から金融を受ける際に、同訴外人に対して右訴外松田の記名捺印の趣旨を説明し、同訴外人は右の趣旨を十分諒解の上で右手形を受領したのである。従つて右記名捺印は手形の共同振出又は支払保証として無効である。前記のように原告は右の事情を訴外山本を通じて熟知していたし、且つ少くとも原告の代理人である訴外山本はこれを熟知していたから、訴外松田の右記名捺印は原告との関係においても手形の共同振出又は支払保証の効力がない。

(四)  仮りに訴外松田の記名捺印が本件手形の共同振出又は支払保証として有効であるとしても被告銀行がその共同振出又は支払保証をしたことにはならない。

(1)  訴外松田は手形に記名捺印した際に被告銀行を代理する意思はなかつた。既に(三)において述べたように訴外松田が本件手形の記名捺印に被告銀行支店及び支店長代理の肩書を附加記載したのは、金融の相手方に対する被告黍野の信用を増加させる為めに、同訴外人が銀行支店長代理の地位を持つ者であることを表示したに過ぎないのであつて、右肩書の表示によつて同訴外人が被告銀行を代理して手形に記名捺印するものであることを表示したものではない。

(2)  本件手形における訴外松田の記名捺印に附記せられた肩書はそれ自体被告銀行を代理する旨の表示に該当しない。元来銀行が手形を振出すのは、銀行が日本銀行から一時借入をする場合又は日本銀行指定の短資業者を通じ若しくは直接に他の金融機関から一時借入れをする場合のように稀有特種の場合に限られている。しかも右特殊借入を為す為めに手形を振出す場合についても、被告銀行においては東京本店大阪支店のような母店に限り振出を認められて居り、且つ大阪支店の場合は必ず東京本店の承認を受けなければならない。本件のように銀行が個人と共同して個人宛の手形を振出すようなことは絶対に有り得ないことである。また、銀行が個人振出の手形の支払保証を為すのは公団若しくは閉鎖機関等が物資払下の法令に基いて物資の払下げを受ける際に、右公団若しくは閉鎖機関の依頼を受けて払下物資代金支払の為めにその振出す手形に支払保証をする場合又は被告銀行取引先の要資を金繰りの必要から他銀行に斡旋して右取引先をして他銀行から金融を受けさせる際に、右取引先の振出す手形に支払保証をするときのように特殊な場合に限られる。銀行が個人間の金融の為めに振出された手形の支払保証をするようなことは有り得ないことである。況んや本件のようにその名宛人、振出日支払期日空白の個人振出の手形に支払保証をするようなことはおよそ考えることもできないことである。本件の場合に付いていえば、被告銀行鶴橋支店のような小支店が銀行の名義で個人間の金融の為めに個人と共同して個人名宛の約束手形を振出し、又は個人間の金融の為めに振出された手形の支払保証をすることは絶対にあり得ないことであるから、本件手形の訴外松田の記名捺印に右被告銀行支店支店長代理の表示があつても、右肩書の表示は訴外松田の手形行為が被告銀行を代理する行為であることを表示していることにならない。

(3)  仮りに訴外松田が被告銀行を代理して本件手形に記名捺印する旨を表示し、且つ右表示が代理の表示として相当であつても右訴外松田の行為は無権代理行為である。一般に銀行支店長は銀行を代理して手形を振出す権限なく、手形保証をする場合には必ず正規の手続を経ることを要し且つ各支店長がその責任で支払保証をすることのできる金額は限定せられている。右限度を超えて支払保証をするときには必ず本店に申請してその許可を受けねばならない。支店長代理に至つては単独で手形行為をする権限は全然なく、総て支店長の指揮を受けて始めて手形行為をする権限が発生するものである。本件の場合には訴外松田は被告銀行の一小支店長代理に過ぎず、本件の手形行為をする権限は全くないこと明白であつて、且つ支店長の指揮を受けた行為でもないから、同訴外人の右手形行為は全くの無権代理行為である。

(4)  訴外山本は訴外松田が被告銀行を代理して本件手形に記名捺印するものでないこと及び右のような行為をする代理権限のないことを熟知していた。被告黍野及び訴外松田は訴外山本に対して本件手形における訴外松田の記名に被告銀行支店支店長代理の肩書を附ける理由が前記(四)(1) の通りであることを告げ、訴外山本の承諾を受けた上で同訴外人に本件手形を交付したものであるから、同訴外人は訴外松田が被告銀行を代理する意思で右手形行為をするのでないことを知悉していること云うを俟たない。また訴外山本は訴外松田に銀行を代理して本件手形を共同振出し又は支払保証をする権限のないことを同訴外人から告げられてこれをよく知つていた。殊に訴外山本は昭和二十四年十二月下旬訴外松田に対して本件手形では外国人である原告に理解し難いから右手形に添付する為めに同額の銀行保証小切手を交付せられ度い旨を申込み、訴外松田は已むなく客用小切手用紙を利用して金額五百万円の小切手を作成して訴外山本に交付した事実がある。銀行が保証小切手を振出す場合には正式の手続を経て特定の小切手用紙を用いて振出すものであつて客用小切手用紙を用いるようなことはない点や訴外山本が右のような小切手の振出を依頼しその振出に立合つていた点に徴して、同訴外人は右小切手の振出が銀行の正規の小切手振出ではなくて被告松田個人が非公式に振出すものであることを熟知していたこと明らかである。訴外山本が右小切手についての不正振出を右のように知つている点から見ても、同訴外人は訴外松田が銀行を代理して本件手形を共同振出し又は支払保証をする権限のないことを当然知つていた筈である。またそれを知つて居たからこそ右のような保証小切手の交付を要求したのである。

(5)  仮りに万一訴外山本が訴外松田に被告銀行を代理して本件の手形行為をする権限がないことを知らなかつたとしても、同訴外人は自己の過失によつてこれを知らなかつたものである。前記(四)(2) の銀行の慣行は常識上何人も当然にこれを知つていることであり訴外山本がこれを知らない筈はないのであるが、仮りに同訴外人がこれを知らなかつたとしても、それは訴外山本自身の過失である。また(四)(3) の無権限の事実も同訴外人が少しく注意を働かし、被告銀行大阪支店の係員又は鶴橋支店の支店長に問合すれば当然容易にこれを知ることのできる事実であつて、これを知らなかつたのは同訴外人の怠慢によるのである。従つて万一訴外山本が訴外松田に本件の手形行為をする権限があると信じていたとしても、それを信じる正当の事由を具備していない。

(6)  原告は訴外松田が被告銀行を代理して本件手形行為をするものでないこと及び右のような代理行為をする権限がないことを知悉していた。仮りにこれを知らないとするも、それは原告自らの過失である。訴外山本は原告の嘱託であつたから、原告は当然同訴外人から本件手形の成立授受に関する事情を聞いて、これを知つている筈である。仮りに原告が同訴外人から、これを聞くことを怠つてその結果これを知らなかつたとしても、訴外山本は原告から本件手形について被告黍野と交渉しこれを取得することを委任せられていたのであるから、右手形の授受に関しては原告の代理人である。従つて訴外松田に被告銀行を代理して本件手形行為をする意思がなかつたこと並びに同訴外人にかかる行為をする代理権限がなかつたことの知不知、及び右権限があると信ずる正当の事由の有無は原告に関する限り訴外山本について定むべきものである。然るに訴外山本は既に前記(四)(4) (5) で述べたように訴外松田の手形行為の趣旨、代理権限ないことについて悪意であり且つ代理権があると信ずるに足る正当事由も具備していないから、原告に対する関係においても本件の手形は被告銀行の振出又は支払保証があつたものとしての効果を生じない。

と述べ、抗弁として、

仮りに本件の書類が約束手形であつて、被告銀行がその共同振出人と認められるとしても、被告銀行は左記の理由によつて本件手形金を支払う義務はない。

(一)  訴外松田又は被告銀行が手形債務を負担しない旨及び原告は被告黍野に対して手形上の請求はしない旨の特約がある。

前記のように訴外山本豊二郎は本件手形の取得について原告の代理人であるところ、既に答弁(二)、(三)及び(四)(1) において述べたような本件手形の成立の事情から、被告黍野及び訴外松田は本件手形を訴外山本に交付するに先立つて、同訴外人に対して、訴外松田は手形に記名捺印するけれども右は銀行支店長代理の肩書のある訴外松田個人が被告黍野に支払能力のあることを証明する趣旨であつて訴外松田が手形上の債務を負担するものでないことまた同訴外人の記名に附記する肩書は同訴外人が被告銀行の支店長の資格で手形に記名捺印するものでないこと殊に本件手形が右のような性質のものであるから、これを支払のために銀行に呈示されるときは、訴外松田は被告銀行から解雇せられる結果となることを告げ且つ被告黍野の訴外山本に対する借金の弁済期限を本件手形支払期日の三日前に定め、右借金はその日までに必ず皆済することにするから、本件手形を支払のために銀行その他に呈示しないで貰いたい旨を申入れたところ、訴外山本はこれを承諾し、被告黍野に対して訴外山本自身が本件手形によつて請求しないばかりでなく、責任をもつて原告にも手形による請求をさせない旨を約束した。従つて訴外松田及び被告銀行は右特約によつて本件手形上の債務を負担しないばかりでなく、訴外山本と被告黍野間の手形上の請求はしない旨の特約の利益も受けるものである。

(二)  悪意の抗弁、

既に答弁(二)、(三)及び(四)において述べたように本件手形が被告銀行振出の手形であると認められるとすれば被告黍野及び訴外松田が共謀して訴外松田に全くその権限がないにかかわらず銀行名を冒用して振出されたものであつて、被告銀行はこれを振出すべき経済上の必要は全くなかつたのである。原告は既に述べたように被告銀行が資金面において本件手形から何等の利益を受けていないことを知つていたのであるから、本件手形によつて被告銀行に請求すれば、被告銀行がこれによつて損害を受けることを知悉していたものである。仮りに原告が当時右事実を知らなかつたとするも、訴外山本は本件手形の取得に関して原告から委任を受けた代理人であるから、右手形取得当時における原告の悪意の有無はその代理人である訴外山本についてこれを定むべきものである。然るに同訴外人がこれ等の点について当時悪意であつたことは既に述べた通りであるから、結局原告は被告銀行を害することを知つて本件手形を取得した者であつて、本件手形によつて被告銀行に請求することはできない。

(三)  弁済の抗弁

本件の約束手形は既に述べたように訴外山本豊二郎が原告から金五百万円を借り受け更に同訴外人が右金員を被告黍野に貸与するについてその二重の貸借の担保として被告黍野から訴外山本を通じて原告に差入れられたものであつて、原告と被告黍野間に直接の資金関係はなかつた。そして右貸金及び手形の支払期日の切迫した昭和二十五年二月上旬頃被告黍野は営業不振の為め行方不明となり訴外山本及び同松田は本件手形の支払期限の延期及び借金の支払に苦慮したが、訴外山本から訴外松田に対して金策のため銀行小切手の作成方を求めたので、訴外松田は客用小切手用紙を利用して三百万円二枚、二百万円一枚、百五十万円二枚、百万円一枚合計六枚の小切手を作成して訴外山本に交付した。そこで訴外山本は一方野村貿易株式会社の谷村某に依頼して三百万円の約束手形の交付を受けこれによつて金二百七十万円の金融を得てうち金二百万円を原告に支払い、他方残額支払の方法として前記小切手のうち額面三百万円の一枚を原告に交付した。右弁済によつて訴外山本の原告に対する債務は皆済となり消滅したので、原告は右債権の担保である本件手形によつて手形金の請求をすることはできない。

と述べた。<立証省略>

三、理  由

成立に争のない甲第一号証を検するにそれは約束手形としての記載要件を完備するものである。そして証人松田勲の証言によれば、右手形面の記載事項はいずれもその振出人として署名している被告黍野及び訴外松田が同手形を訴外山本豊二郎に交付する前に完成していたものであつて、被告黍野の住所氏名を除いて総て訴外松田によつて記載せられたものであることを認めることができる。このような手形要件を完備する手形はそれが戯れに作成されたり又は見本として作成されたりした場合のように作成者及び名宛人の経済関係に無関係に作成された場合であれば兎に角としていやしくも本件のように金融に関連して作成されたものである以上、たとえ当事者の間で右手形は借用証書代りに授受する旨の諒解があつたとしても、それは手形に基いて請求をしない旨の特約が成立したと解する余地こそあるが、手形として無効である又は手形ではないと云うことはできない。被告銀行の右甲第一号証が手形でない旨の主張は採用できない。

甲第一号証の手形にはその振出人の欄に訴外松田の記名捺印があるが、被告等は右記名捺印は同訴外人が手形の共同振出人であることを示すものではないと主張する。しかし手形の署名者は法律上手形文言に従つて責任を負うものであつて、殊に手形の振出人としての署名をした者は支払を担保しない旨を手形に記載した場合においてさえ、その文言は記載しなかつたものと見做される程にその責任重大である。従つて仮りに被告等主張のように被告黍野及び訴外松田と訴外山本の間に訴外松田が手形の振出人としての責任を負わない旨の諒解があつたとしても、それは右当事者間に訴外松田が手形債務を負担しない特約があつたと解する余地はあつても、これによつて訴外松田を手形の振出人でないと云うことはできない。被告等のこの点の主張も採用できない。従つて甲第一号証は被告黍野及び訴外松田勲の共同振出に係る約束手形である。

そこで被告銀行が右手形の共同振出人に当るかどうかについて判断する。甲第一号証の手形の振出人の欄には被告黍野の署名捺印の次に訴外松田の記名捺印があつて右記名捺印には大阪市生野区猪飼野西四丁目十三番地株式会社帝国銀行鶴橋支店支店長代理の肩書が記載されていて、右肩書は訴外松田自身が右銀行支店備付けのゴム印を押捺したものであることは被告銀行も認めている。被告銀行は本件手形の訴外松田の記名に附けられた右の肩書は、それ自体同訴外人が被告銀行を代理して手形を振出す趣旨の表示には該当しないと主張する。なるほど被告銀行の主張するような銀行の手形振出又は手形保証に関する慣行は日本の総ての銀行に共通して既に確立された慣行であつて、銀行事務乃至銀行取引に関する知識を持つ者にとつては、右慣行は既に常識に属し本件手形の文言と訴外松田の記名に附けられた前記の肩書を対照すれば、同訴外人が被告銀行を代理して本件手形を振出したものでないことは一見明瞭であつて、前記の肩書が被告銀行を代理して手形を振出すものであるとの意味を持ち得ないかも知れない。しかしながら、銀行事務乃至銀行取引に関する知識は専門知識に属し一般人の常識事項ではないから、そのような専門知識を持たない一般人にとつては訴外松田が個人として手形を振出すのであれば、前記のような肩書を記載する必要もないところから、銀行支店長代理がその肩書を附けて手形に記名捺印すれば、それが個人振出の手形ではなく、その資格において銀行を代理して手形を振出すことを表示したものと理解せられるのが通常である。そして文書の法律上の意味は通常人の常識においてそれが意味するものに外ならないから、前記の肩書は訴外松田が被告銀行を代理して手形を振出すものである趣旨の表示に該当すると云わねばならない。

然しながら乙第一号証の一、二、証人中川不器男、同町野道夫、同久米実及び同松田勲の証言によれば訴外松田が被告銀行を代理して本件手形を振出す権限のないことは極めて明瞭である。従つて被告銀行がその振出人としての責任を負わねばならないのは、原告が訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると手形取得当時信じていて且つこのように信じるのが当然であるとするに足る正当な理由を当時持つていた場合に限るのであるが、証人松田勲の証言及び同山本豊二郎並びに被告黍野本人の訊問並びに再訊問の結果によれば、訴外山本は本件の手形の取得即ち手形授受の原因である金五百万円の貸借についての交渉、その貸借条件の決定、貸与金員である原告振出の小切手の授受、及び本件手形の授受等一切の事項について、原告を代理して被告黍野及び訴外松田と取引をすることを原告から委任せられていて、右代理権限を附与せられていたことを認めることができる。従つて前記被告銀行に本件手形の振出人としての責任を負わせることができる事由が原告に具備していたか否か換言すれば訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じていたか否か及びこのように信ずるのが当然であると認めることのできる正当な理由を持つていたか否かは、原告の代理人である訴外山本についてこれを決定しなければならない。訴外山本と原告間の連絡の不十分乃至原告が外国人であること等の為めに生じた原告の本件事実関係についての誤解又は不知は、仮りにそのようなものがあつたとしても、本件における被告銀行の表見代理による前記責任の有無を定めるについて影響を及ぼす事項ではない。

そこで訴外山本が本件手形取得の当時訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じていたか否かについて判断する。(この争点は原告主張のように表見代理の法理によつて被告銀行が本件手形についての責任を負うかどうかについてのみならず被告黍野の抗弁及び被告銀行の抗弁(一)及び(二)のように当事者間の特約及び原告の悪意によつて被告等殊に被告銀行が本件手形上の責任を免れることができるか否かを決定するについて、その基礎となる主要な事実関係であつて、右原告の主張及び被告等の抗弁はこの事実関係の存在又は不存在を前提として法律上の主張に組立てられている。従つて本争点についての判断は被告等の右抗弁についての判断にも共通するから、判断の重複を避ける為めにこの際稍詳細に説明する。)

証人山本豊二郎の訊問並びに再訊問の結果及び証人嶋久男の証言を綜合すれば訴外山本豊二郎は昭和二十四年十一月、十二月頃経済的に窮迫した状態にあつたので、戦前同訴外人を長年雇用していた原告に対して収入を得る方法について相談したところ、原告の好意によつて、同訴外人が原告の貸金を周旋してその仲介料を取得して差支えない旨の許可を受けた。その後訴外山本は訴外嶋久男の紹介で被告黍野が綿布買入の資金として他から金融を受けたいと希望していることを知り、右被告と原告間の金融を仲介しようと考えて昭和二十四年十二月十日頃訴外嶋と同道して被告黍野をその自宅に訪れ、同被告に面会した。その際被告黍野は本件の手形を訴外山本に示して、このように銀行の保証もしてあるから、これを信用して金五百万円の融資を頼む旨を申込んだ。訴外山本は右手形に被告銀行支店長代理の資格で署名している訴外松田が真実その肩書の通り被告銀行鶴橋支店の支店長代理であるかどうか、また同訴外人が真実右手形の署名者であるかどうか疑問があつたので、右疑問の点を確かめるために同月十二日頃被告黍野及び訴外嶋と同伴して右銀行支店を訪れて、訴外松田に面会した。その際訴外山本は訴外松田が同銀行支店の支店長の次席と思われる場所に座席を占めていることを確かめ且つ訴外松田の口から本件の手形には同訴外人自ら記名捺印したのであつて、右認印は全国の銀行に登録せられた同訴外人の印章であることに間違いない旨確認を受けたが、更に本件手形にある訴外松田の記名印影が真正なものであるかどうかを確かめる為めに自分の名刺に同訴外人の署名捺印を求め、それを本件手形の記名印影と対照してその真正なものであることを確かめた。そしてその際訴外松田は同訴外人が被告銀行を代理して本件手形を振出す権限のないことには少しも言及しなかつたので訴外山本は訴外松田が被告銀行鶴橋支店の支店長代理で、本件手形に記名捺印した本人であることを明確にしただけで十分な調査をつくしたと考えて訴外松田に本件手形の受取人として原告の名宛を記入させてこれを完成させ、その手形を受取つて同銀行支店を辞去し、その翌日右手形の額面から二ケ月分の利息として金五十万円を控除した金四百五十万円を額面とする原告振出の小切手を被告黍野に交付し、被告黍野は同被告の右銀行支店における口座に右小切手を振込んで自己の預金に振替えたことを認定することができる。そして右認定事実から、訴外山本は予て被告黍野から本件手形は被告銀行の支払保証がある旨を聞いて居り且つ銀行支店長代理がその肩書に右支店長代理であることを表示して手形に署名すればそれは当然に銀行が右手形の支払を保証したことになると考え同訴外人が銀行に無断で不正なことをする場合や同訴外人の権限について考え及んでいなかつたので、前記訴外松田がことさらに自分が本件手形を振出す権限のないことに言及を避け本件手形に自ら記名捺印した旨及び右印影が同訴外人の正式の銀行取引の印である旨についてのみ確認するのを聞いてこれを被告銀行が本件手形について責任を負う趣旨の確認と理解し、且つ前認定のように各種の方法によつて訴外山本自身が確めたことによつて被告銀行が本件手形について責任を負わねばならぬ理由を総て確かめた積りになつて、原告のために本件手形を割引取得したものであることを認めることができる。右のような次第で、訴外山本は訴外松田が被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じて本件手形を原告のために取得したものである。

被告黍野代理人及び被告銀行代理人は訴外松田及び被告黍野は訴外山本に対して訴外松田は被告銀行に無断で且つ正規の手続を経ないで本件手形に記名捺印するものであるから、右手形に基く請求は一切しないで貰い度い旨を本件手形の振出に先立つて申入れ、訴外山本からその点について承諾を得た上で本件手形を振出し同訴外人に交付したのであるから、右当事者の間において訴外松田並びに被告銀行は本件手形について責任を負わない旨及び原告は手形振出人に対して本件手形による請求はしない旨の特約が成立した。仮りに右特約成立に至つていないとしても訴外山本は右のように訴外松田及び被告黍野から本件手形成立の事情を聞いているから右手形によつて被告銀行に請求すれば同銀行を害することを知つて手形を取得した者に当る。訴外山本が訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じていたようなことはある筈がないと主張し証人松田勲の証言及び被告黍野本人の訊問及び再訊問の結果中には右被告等の主張に添う供述がある。右供述の要旨は本件手形振出授受の原因である金五百万円の金融は原告が訴外山本の誠実及び能力を信頼して同訴外人に右金員を貸付け、同訴外人が被告黍野に右借受けた金員のうちから更に貸金をしたものである。訴外山本は被告黍野及び訴外松田から本件手形は訴外松田及び被告銀行が責任を負わないものであり、且つ手形による請求のできないものであることを知り乍ら且つ右手形による請求はしない約束の上で本件手形を取得した。訴外山本がこのような約束をなし且つこのような手形振出の事情を知り乍ら本件手形を担保として金五百万円を貸与したのは右二重の貸借の間に仲介料名義で利得することのできる金員が欲しかつた為と、訴外松田のように銀行支店長代理と云う重要な地位にある者がその職を失う危険を冒してその経済的手腕能力を保証する被告黍野が右貸金を期限に支払う能力がなくなるようなことはまさかあるまいとの希望的見解をもつていたからである。従つて右金五百万円の貸金の担保として本件の手形を授受する意味は被告銀行の手形支払義務を以つて担保とするのではなく、訴外松田の社会的地位と名誉を以つて担保とするものであるとの諒解が手形授受の当事者に成立していた。訴外山本が本件手形による請求をしない代償としては被告銀行名義及び被告黍野名義でそれぞれ同訴外人に対して右手形の支払期日の三日前に被告黍野において右金五百万円を必ず支払う旨を約束した保証書が差入れてあるのであつて、右のように手形による請求をしない旨の特約があればこそこのような保証書を差入れたのである。また訴外山本は本件手形が被告銀行に支払う責任のないものであることを知つて居たからこそ訴外松田に対して被告銀行支店長代理の資格で客用小切手用紙を用いた小切手を振出すこと要求し、その交付を受けたのであると云うにある。

然しながら、前認定のように訴外山本が被告黍野と相識つて後本件手形を取得する迄の間には僅か一両日を経過しているだけであつて、右証人松田及び被告黍野本人の供述によつてもこのような短期間に訴外山本が被告黍野に対してその経済的手腕能力を信頼して金五百万円の大金を貸付ける程の信頼関係が生まれる特別な事情が認められないこと、このような債務者に対する特別な信頼がない場合には確実な物的又は人的担保のない限り、銀行支店長代理は勿論何人が債務者に支払能力が十分あると証明しても金五百万円の大金を貸与し難いのが一般の常識であるのに右のような事情にかかわらず右五百万円の貸借には本件の手形以外には担保がない点に徴して訴外山本は右手形についての被告銀行の支払義務を信じていたからこそ右金員を被告黍野に貸与したものであることが認められること及び前認定のように訴外山本がわざわざ被告銀行鶴橋支店を訪れ訴外松田が真実被告銀行の支店長代理であつて本件手形に対する訴外松田の署名が真正なものであるかどうかを確める各種の処置を採つていて、若しも右手形が実質的に前記金融の担保となるものでないとするなれば、このような処置を採る必要がないと認められることを考慮すれば、前記証人松田及び被告黍野本人の供述は措信し難い。なるほど訴外山本が原告と被告黍野間の金融を仲介して利得をしたいと考えていたことは証人山本の供述自体によつても認められるが他方同証人の証言によれば、訴外山本と原告の関係は二十万の利得の為めに同訴外人の方からその信頼関係を永久的に破壊しても差支えない程浅いものであつたと認め難いばかりでなく、当時訴外山本は被告黍野以外に原告から金融を受ける相手方を見付けることの困難な事情にあつたわけでもないから、右利得のために右のような危険を冒してまで本件金融を成立させる筈がないことを認めることができる。また手形署名者が代理資格を詐つて手形に署名をしているときには、その手形が不渡りになれば手形が偽造せられたものであることが発覚して右署名者は刑事上の責任を問われるおそれがあるので右署名者又は関係人はこれを免れるためにその能力の限り手形金の支払に努力するのが通常であるところから、金融業者の間ではこのような意味で手形署名者の地位と名誉を担保としてその偽造であることを知りながら右のような手形を割引することがあるかも知れないが、本件の場合では前記証人松田及び被告黍野本人の供述によつても訴外松田の前記銀行支店長代理の地位その他同人の社会的地位は当人以外の第三者にとつて当時大金であつた金五百万円を右のような意味で担保するに足るものであつたとは到底認め難く前認定のように訴外山本は被告黍野の能力を信頼して金五百万円を融資したのではないから被告黍野及び訴外松田が同訴外人の右地位と名誉を守るために可能な限り本件手形支払に努力することを予想して無担保で右金員を貸付けた趣旨の証人松田及び被告黍野本人の供述部分は措信し難い。次に訴外松田が被告銀行名義で差入れた本件手形支払期日の三日前に金五百万円を必ず弁済する旨の保証書については証人山本豊二郎の再訊問における供述によれば右保証書は訴外松田から任意に差入れられたものであつて、訴外山本はこれを受領した際に右手形による請求をしないでくれとの依頼を受けたこともまた手形による請求をしない旨を約束したこともないこともなく、またそのような約束をする趣旨で右保証書を受取つたものでないことを認めるに十分である。従つて此の点についての証人松田及び被告黍野本人の前記の供述部分は措信しない。訴外山本が訴外松田の偽造した被告銀行の保証小切手をその偽造であることの情を知りながらその作成を要求して受取つた点については証人山本の第一回の証言によれば、訴外山本は本件の手形を被告銀行に支払責任のある真正な手形であると信じて取得したが、取得後間もなく本件手形についての被告黍野及び訴外松田のからくりを発見して、それが果して支払われるかどうか心配していたが、右手形の支払期日が次第に迫つて来るのに被告黍野の行方は判明せず、訴外松田の支払能力も期待出来ないので、この侭経過するときは自分の失策が原告に発覚してその信用を失う結果になると考え、他に金策をして原告に支払い一時窮境から免れようと企て右金策の手段として右小切手の振出を訴外松田に要求したものであることを認めることができる。従つて訴外山本は右小切手の振出を要求した際には訴外松田が本件の手形を振出す権限なしでこれに署名したものであることを知つていたのであるが、右事実は訴外山本が本件手形取得当時右訴外松田の無権限を知らなかつた旨の前記の認定を覆す資料とはなり得ないものである。

以上のような次第であるから訴外山本は本件手形取得当時訴外松田が被告銀行を代理して本件の手形を振出したものであつてこのような手形振出の権限を持つていると信じていたと認定できる。右認定に反する証人松田及び被告黍野本人の訊問の結果は措信しない。その外被告の全立証によつても右認定を覆すに足る証拠はない。

次に訴外山本が訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信ずるが当然であると認めることのできる正当な理由を持つていたか否かについて判断する。この点に関しては既に本件手形における訴外松田の署名に付けられた肩書が同訴外人が被告銀行を代理して手形を振出す旨の表示に該当することを判断した際に述べたように、社会一般の通常人は銀行取引乃至銀行事務の慣行に通暁しないのが通常であるから、このような右慣行に当然通暁していなければならない特殊な地位にある者以外である訴外山本が本件手形における訴外松田の署名に付けられた肩書を見て、右訴外松田の署名をもつて同訴外人が被告銀行を代理して本件手形を振出すものであると信じ、また右事実から訴外松田にこのような権限があると信じたのは証人山本の証言によつて認められる訴外山本の経歴、銀行取引及び法律についての知識の程度から考えて当然のことであつて、これを同訴外人の過失であると認めることはできない。ただ本件の場合は弁論の全趣旨から見て、訴外山本は本件の手形について被告銀行の大阪支店又は鶴橋支店の支店長に聞き合せさえすれば、容易にその不正に振出されたものであることを知ることのできる場合であつたことは否定できない。(尤も証人山本の第一回の証言によれば訴外山本が鶴橋支店を訪れた際には支店長は不在であつた)然しながら、銀行及び銀行役員の社会一般に対する信用の極めて高いことを考慮すれば、訴外山本が前認定のように訴外松田の銀行における地位と本件手形の同訴外人の署名のみを確かめて同訴外人に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があるから、このような手形を振出したものであると信じたことにも無理からぬところがある。殊に前認定のように被告黍野は訴外山本に対して本件手形は被告銀行が保証しているものである旨を告げて同訴外人を詐り、訴外松田は本件手形の同訴外人の記名捺印は同訴外人のした真正なものであつて、その印影は全国の銀行に登録せられた公式の印影である旨を確言して被告黍野の欺罔行為を援助したのであるから、訴外山本が前記のように訴外松田に被告銀行を代理して本件手形を振出す権限があると信じた原因は、主として右両名の言葉に欺罔せられた結果であると認めることができる。それ故に、訴外松田を銀行支店長代理の重要な地位に置いた被告銀行が右訴外松田の行為について責任を負わねばならないのは当然であつて、訴外山本が相当なところに問合せもしないで被告黍野や訴外松田の言葉を信じたのは軽卒には違いないが、右軽卒の故に被告山本には前記のように信ずるについて正当な理由がないとすることはできない。

以上のように、本件の手形取得についての原告の代理人である訴外山本は訴外松田が被告銀行を代理して本件手形を振出したものであつて同訴外人はこのような権限を持つていると信じていたものであつて、且つ訴外山本がこのように信じたことには正当な理由があるから、被告銀行は原告に対して表見代理の規定によつて本件手形について責任を負わねばならない。

次に被告黍野の抗弁及び被告銀行の抗弁のうち(一)及び(二)について案ずるに、右抗弁はいずれも前述のように訴外山本が本件手形取得当時、被告黍野及び訴外松田から、訴外松田は被告銀行に無断で且つ正規の手続を経ないで本件手形に署名するのであるから、右手形に基く請求はしないで貰い度い旨の申込みを受け、これに承諾を与えた事実の存在することを前提とする主張である。然るに既に述べたように被告の全立証によつても訴外山本がこのような承諾を与えた旨及び被告黍野並びに訴外松田から訴外山本にこのような申入があつた旨の証人松田及び被告黍野本人の供述は措信することができないばかりでなく、却つて証人山本及び同嶋の証言によれば被告黍野は訴外山本に対して本件手形には銀行保証がある旨を告げて同訴外人を欺き、訴外松田はことさら自分に右手形を振出す権限のない点に言及をさけ、右手形の同訴外人の署名が真正なものである点のみ確言したことを認めることができるのであるから、前記事実の存在を前提とする被告等の右抗弁はいずれも他の点について判断するまでもなく、これを採用することができない。

最後に被告銀行の弁済の抗弁について判断する。乙第六号証の一乃至七、と証人山本豊二郎(第一、二回)同松田勲及び同中川不器男の証言を綜合すれば訴外山本は本件手形が訴外松田によつて被告銀行支店長代理の資格を冒用して振出されたものであることを知つて後は、被告黍野から右手形金の支払を確実に受けようとして同被告の行方を極力探すと同時に、訴外松田に要求して被告銀行客用小切手用紙を用いて被告銀行名義の保証小切手を作成させ、これを利用して他から金融を受け一時窮境を切抜けようとしたが、右金融も受けられないうちに本件手形の支払期日が切迫した。そこで訴外山本は原告を騙して一時本件手形の取立を猶予させようと考えて昭和二十五年二月三日頃知人である訴外野村貿易株式会社の営業次長訴外谷村某に対して自分が被告黍野及び訴外松田に欺罔せられて本件手形の割引を仲介し、被告黍野が右手形の支払期日に手形金を支払う見込みがない為めに原告を欺いて一時本件手形の取立を猶予させねばならない事情にあることを打明け、右猶予を受ける手段に使用する手形を一時融通して貰い度い旨を依頼し右訴外谷村に右訴外野村貿易株式会社振出名義の額面三百万円の約束手形一通を振出させてこれを借受け、右手形を原告に金二百七十万円で割引させ右割引金の交付を受け、本件手形の支払期日である同年二月十五日に右手形の割引金のうち金二百万円と予て訴外松田に要求して作成させて置いた前述のような被告銀行の保証小切手額面三百万円(振出日同月十七日の先日附小切手)一通を被告黍野から支払があつた旨詐つて原告の代理人ミユーラーに交付したが、右訴外ミユーラーは右小切手金が現実に支払われるまでは本件手形を返還しないと云つて本件手形を原告の手許に留置した。その後右小切手が支払期日に支払場所に呈示された為めに、訴外松田が右小切手を振出す権限なくして振出したものであることが発覚したので、訴外山本は本件手形について一切の経過及び前記訴外会社振出名義の約束手形を入手した事情を原告に告白したところ、原告は右訴外会社振出の手形による手形金の取立をしないでこれを訴外会社に返還したことを認めることができる。右認定事実によれば訴外山本は本件手形が訴外松田によつて被告銀行の代理資格を冒用して作成されたものであることを知つて後は専ら自己の立場を繕うために種々の劃策をしていたのであつて原告を代理して行動していたものでないことを認めるに十分である。また前認定のように本件手形授受の原因である金五百万円の貸借については訴外山本は原告からの借主ではなく、被告黍野が原告からの直接の借主であり且つ前認定のように前記金二百万円の現金及び額面三百万円の小切手は本件手形金の支払と称して訴外山本から原告に交付されたのであるから、仮りに右二百万円及び小切手の交付が本件手形金の支払に該当するとすれば、それは第三者による本件手形金の弁済に該当するものである。

一般的に云つて手形債務の弁済として他の手形又は小切手を提供するのは債権者が右提供をもつて有効な弁済とすることに同意しない限り、後の手形又は小切手が現実に支払われるまでは先の手形の有効な弁済の提供に該当しない。従つて債権者はこのような弁済の提供を受領することを拒絶することができるし、また右弁済に異議を述べてこれを受領することもできるが、右のような場合には右手形又は小切手の提供又はその債権者に対する交付によつて弁済の効果を生じない。本件の場合において前記訴外松田の作成した額面三百万円の被告銀行名義の保証小切手は同訴外人がその代理資格を冒用して作成したものであつて被告銀行にその支払義務があるかどうか疑わしいものであるから、このような小切手をもつてする債務の支払はそれ自体有効な支払とならないのみならず、先に認定したように原告は右小切手をもつてする本件手形金の支払を有効な支払と認めない趣旨を言明してこれを受領し、本件手形を訴外山本に交付しないで原告の手許に留めたのであるから、右三百万円に関する限り本件手形について有効な支払のなかつたことは極めて明瞭である。

さて残額の金二百万円については前認定のように訴外山本は訴外野村貿易株式会社振出名義の額面三百万円の手形を原告から金二百七十万円で割引して貰い、数日後に右割引金のうちから原告に対して金二百万円を支払つているので、外形的には一応有効な本件手形の支払があつた形式になつているのである。然しながら前認定から明らかなように訴外山本及び訴外谷村は当初から右訴外会社名義の手形の振出及びその割引によつて右手形額面全額について右訴外会社に本件手形債務の肩代り引受けをさせたり、または右訴外会社の出捐において右手形の決済をさせる意思はなく、原告から交付を受けた割引金の大部分をそのまま原告に返還し、これによつて被告黍野から右返還した金員が本件手形金の支払として入金されたものであると原告を欺く意図であつて、且つ事実上においても前記金二百万円の支払は原告から訴外会社手形の割引として訴外山本に交付された金員の一部がそのまま訴外山本から原告に返還せられた関係にある。右事実関係から原告が右手形の割引及び弁済の実情を知つていたならば、原告は右金二百万円を当然前記手形割引金の一部の返還として受領していた筈であつて本件手形金の支払として受領している筈はないことも自ら明瞭である。右のように事実において訴外会社振出名義の手形の割引金の返還として原告に金員が交付せられた場合に偶々原告がそれを本件手形の支払と誤信したからと云つて原告の誤信通り本件手形債務弁済の効果を持ちその額の範囲でこれを消滅させる道理はない。従つて前記認定の事実関係は訴外会社振出名義の手形について金二百七十万円の割引が成立し、本件手形債務について金二百万円の弁済が為されたと認むべきものではなく右訴外会社振出名義の手形の割引金のうち金二百万円は原告に返還せられ、本件手形については何等の内入弁済もなされなかつたと認むべきものである。

以上のように本件手形については何等かの有効な弁済のなされた事実を認めることはできないから被告銀行の弁済の抗弁は全部これを排斥する。

結局被告黍野及び被告銀行は、原告に対して各自本件手形金を支払う義務があるので、被告等各自に対して右手形金及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年六分の割合による損害金の支払を求める原告の請求は全部正当であるのでこれを認容し、民事訴訟法第八十九条同第百九十六条を適用の上主文の通り判決する。

(裁判官 長瀬清澄)

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